東京高等裁判所 昭和53年(く)194号 決定 1978年8月03日
少年 T・N子(昭三六・三・二生)
主文
原決定を取消す。
本件を千葉家庭裁判所に差戻す。
理由
本件抗告の理由は、申立人作成名義の抗告申立書に記載されたとおりであるが、その要旨は、1原決定は犯罪事実1において、少年が売春を周旋したとの事実を認定しているが、少年にはそのような周旋の事実はなく、原決定には重大な事実の誤認がある、2少年を中等少年院へ送致する旨の原決定の処分は著しく不当である、というのである。
一 事実誤認の論旨について
一件記録ならびに当審における事実取調の結果(受命裁判官の申立人本人に対する審問調書等)を総合して検討すると、結局、少年が原決定の犯罪事実1のような売春の周旋を行なつたとはこれを認めることはできないのである。以下その理由を述べることとする。
1 本件は昭和五三年三月二七日、家出人として神奈川県○○警察署に保護されたA子の供述から捜査が進展したものであるところ、A子は、司法警察員に対する昭和五三年三月二七日付、四月一〇日付、五月一五日付(謄本)各供述調書において、本件の経過について詳細に供述をしている。右供述によると、A子は、昭和五二年九月二〇日ころ、一〇月の第一日曜日ころ、昭和五三年一月七日ころ、の合計三回にわたり少年から売春の周旋を受けたというのであり、このうち最後の一月七日の件が本件である、というのである。家出人として保護されたにすぎないA子がこのような、自らの売春の事実を、しかもかなり古い事実についてまであえて供述しているという供述態度からすると、売春が少年から周旋を受けて行なわれたものであるとの点をも含めてA子の供述を信用性がないものとして排斥し去ることは、たしかに、困難であるといえるかもしれない。しかしながら、A子は、昭和五二年九月中旬ころ、少年から、「誰かバイト(売春の意)やつてみない」と誘われて後の一連の事柄として三回の周旋を受けたことを供述しているのであるが、他の関係証拠によると、少年が友人B子を介し暴力団関係者C、Dらと付き合うようになつたのは昭和五二年一一月ころ以降のことであることが明らかなのであり、A子のいう昭和五二年九月二〇日ころおよび一〇月の第一日曜日ころは、少年がDらと付き合うようになる以前なのであつて、少年と売春の周旋との結びつきをうかがわせる事情は見出し難い。また、A子は一〇月の第一日曜日の件につき売春の場所は事件と同じ○○駅付近のモーテル○○であつた旨供述するが、司法警察員作成の電話通信紙(原審記録二六丁)によれば、同モーテルは、同五二年七月から一一月まで工事中であつて営業していなかつたこと、が認められるのである。これらの点は、本件事実、すなわち、昭和五三年一月七日ころ売春の周旋を受けたという事実に直接関係する事柄ではないけれども、A子の供述全体の信用性の判断に影響してくることを否定しえないのである。A子の供述と少年の供述がきわめて対照的である本件において、反対尋問等を経ていないA子の司法警察員に対する前記各供述調書を全面的に信用することには十分に慎重でなければならないのである(なお、同人は、昭和五三年六月中旬ころから家出をして所在が不明であり、当審において証人尋問をすることができなかつた)。A子の前記各供述調書につき、これに反する少年の供述以上に信用性を認めることには躊躇せざるをえないのである。
2 つぎに、本件売春の周旋の事実についての少年の供述をみると、少年は、昭和五三年四月二六日付、五月八日付(謄本)、司法警察員に対する各供述調書および五月一〇日付検察官に対する供述調書(謄本)において、ほぼ原決定の認定にそう供述をしているのであるが、他方、逮捕の際の昭和五三年四月二二日付弁解録取書においては、A子に売春しないかといつたことはあるけど、日とか場所を指定したことはない、旨、また、翌四月二三日付司法警察員に対する供述調書においては、昭和五二年一二月初めころDから電話で依頼を受け、そのころ登下校時にA子らのグループに、「誰か社長という人の茶飲み友達になつてくれない」、と話しかけたが、A子に対してはそれ以上何ら具体的な話はしていない、旨供述し、昭和五三年四月二四日付検察官に対する弁解録取書および同日付裁判官に対する勾留質問調書においては完全に否認しているのである。さらに、家庭裁判所へ送致されて後は、前記四月二三日付司法警察員に対する供述調書とほぼ同様の供述をし、ただし、Dから電話があつたのも、少年がA子らに話をしたのも昭和五三年一月中旬ころ、(すなわち、本件の売春の周旋がなされたとされている日よりあと)のことであると供述するのである。
少年の供述は、このように必ずしも一貫したものとはいえないのであるが、当審における受命裁判官の少年に対する審問調書中の少年の供述を参酌し、また、家庭裁判所調査官補作成の昭和五三年六月三日付調査報告書によるとB子は、同調査官に対し昭和五三年一月中旬ころ通学途中のバスの中で少年から「Dから女を紹介してくれと頼まれているけどどうしよう」と相談を持ちかけられた旨供述していることが認められ、右はA子らに話をした時期に関する少年の弁解とも一致すること、等を考慮して、前記のような少年の各供述を比較検討すると、少年の各供述のうち、原決定の認定事実にそう部分はにわかには信用できないのである。
3 以上のA子および少年の供述のほかに、本件に関連する証拠として、Dの昭和五三年五月一日付、同月一二日付司法警察員に対する各供述調書(謄本)がある。Dは右各供述調書において、昭和五二年一二月中旬ころ、Eから、「いい娘がいたら紹介してくれないか」との話を持ちかけられたので、その二、三日後に少年に対して「おれの友達の社長が茶飲み友達を紹介してくれといつているんだが誰かいい娘はいないか、見つけてくれよ」と電話で依頼をした旨供述する一方、右依頼の後少年が実際に女性を見つけたか否か、また、Eとその女性との待合わせの場所、時間等につきどのような方法で連絡をとつたか等については一切知らない旨供述しているのであつて、少年に対して依頼したのが昭和五二年の一二月中旬ころであるという点を除くと、それほど重要な意味をもたないのである。
4 ところで、本件においては、少年の各自白調書やDの昭和五三年五月一日付、同月一二日付司法警察員に対する各供述調書(謄本)によると、A子の売春の相手方となろうとしてA子と会つた者は、Dの知人であるEなる人物であつたということが認められる。
しかしながら、当審において取寄せたEの司法警察員に対する供述調書(謄本)によれば、同人は、本件において売春をしようとしたとされているA子なる女性をまつたく知らず、そのような女性と売春をしようとしたことはないと供述しているのである。この点においても一件記録中の原決定の認定事実にそう各証拠の信用性をにわかに肯定することができないのである。
5 以上のとおり、少年が、本件売春の周旋を行なつたことには疑いをさしはさまざるをえないのである。したがつて、これと異り、少年の売春周旋の事実を認定した原決定には、決定に影響を及ぼす重大な事実の誤認があるというべきである。
この点についての論旨は理由がある。
二 結論
よつて、本件抗告は、他の論旨について判断するまでもなく、理由があるから、少年法三三条二項により原決定を取消したうえ、事件を千葉家庭裁判所に差戻すこととして主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 石崎四郎 裁判官 森真樹 中野久利)
抗告申立書
記
私は、四月二十二日に売春防止法違反ということで逮捕されました。私が売春あつせんしたということです。その時私は家出をしていて暴力団関係の人達とつきあつて覚せい剤をうつていました。でも無実の罪で逮捕された私の育春はメチャクチャです。自分で決めて学校へも行く予定だつたのに逮捕されたためにそのこともパーです。刑事さんは私のこと信じてくれませんでした。何度「やつていません」と言つても信じてくれなかつたのは、私の今までの行いがわるかつたのだと自分にいいきかせ反省しました。そして逮捕された時の状態などからも……だけどやつてないことはやつてないのです。どんなに今までわるくても信じてくれなかつたことで私も人を信じられなくなりました。審判の時に判事さんは「やつていません」という私のことばを信じてくれたのかわかりませんが……中等少年院送りといわれたことばには私は認めてくれなかつたような気がします。他の人のことを出したらいけないかもしれませんが……、私と同罪で逮捕された子は現に売春あつせんということをやつていたのに……そして五つも事件名があつたにもかかわらず少年院送りにはならず試験観察ということになつたのです。その点私は納得がいきません。私のことを私から売春の相手を紹介されたとウソをいつた女の子をうつたえたい気持ちです。そういうことは出来ないのですか、留置場での二十二日間の生活そして鑑別所での二十八日間の生活もう充分反省しました。何度か死のうと考えました。でも審判の結果帰れるかもしれないそう考えてやめました。しかし結果は中等少年院送りでした。何で私だけが苦しまなければならないのかと何度も考えました。これからは、まじめに学校へ行つてやつていこうと思つたやさきにこういう結果になつてしまつて残念です。出来ることならもう一度、審判しなおして違う結果をだしてもらいたいのです。五十日間という辛く苦しい生活、今までの私とは、もうちがいます。出来ることならうちに帰して下さい。世の中は甘くないということもわかりました。本当にもう二度こういうあやまちをくり返さないよう努力します。よろしくお願い致します。
参考二 原審決定(千葉家 昭五三(少)一二六八号 昭五三・六・六決定)
主文
少年を中等少年院に送致する。
理由
犯罪事実
少年は、
1 昭和五三年一月七日ころの午後一時ころ、千葉県山武郡○○町○○××番×号国鉄○○線○○駅前広場において、A子(一六歳)に対し、住所・氏名不詳、身長一六八センチメートル位小肥り、年齢三五歳位の一見社長風の男を売春の相手方として紹介し、もつて売春の周旋をし
2 G・Hと共謀のうえ、同年四月二〇日ころの午前七時ころ、千葉市○○町×丁目××番××号所在の○○荘内H方居室において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤粉末約〇・〇八三グラムを水に溶かした水溶液をそれぞれの腕に注射し、もつて覚せい剤を使用し
たものである。
法令の適用
1の事実につき売春防止法六条一項
2の事実につき覚せい剤取締法四一条の二、一項三号、一九条
処遇の理由
1 少年は中学時代特段問題のない少年であつたにもかかわらず、県立○○高校入学(昭和五一年四月)以来急速に非行化し、いわゆる番長としてグループをなして校規無視の生活を送り、酒・タバコ等のみならずシンナー、万引等の非行にも走り、教師や両親の度重なる注意指導にも従わず、却つて家出をくり返し、暴力団事務所にも足をはこんで暴力団員と接触する等急速に身を崩して行つた。そのような状況下において、暴力団員Dの依頼を受けて売春の周旋をなし(本件1の非行)、更に家出中、スナック等で知り合つた者達と一緒になつてモーテル等において数回覚せい剤を使用する(本件2の非行)非行を犯すに至つた。
2 少年の知能は普通域であり、能力面では問題がないが、その性格は活動的発揚的であり、甘やかされて生育したこともあつて勝気で虚栄心が強く、本来家庭内において育成されるべき社会性が欠如している。
しかも、そうしたことから少年は社会的枠組ないし秩序を軽視して自己中心的な生き方を志向し、常に中心的存在たるべく虚栄的に振舞うことになり、指導や干渉を極度に嫌い、これに対して反抗するのみで自らを内省し批判的考慮を払うことができない。このような状況は、少年の自我が強まり、親からも比較的自由となる高校生活において、同年代の女生徒との相克を通じて急速に発現増長してきたもので、暴力団と安易に接触し、覚せい剤を使用する等規範意識の弛緩と生活の乱れが著しく、これらの改善なくしては今後の再非行が強く懸念されるところであり、しかも指導に対する少年の反発並びに従前の経過に照らすと施設外での指導改善は困難と言う外なく、少年に対しては施設に収容のうえ、規則的生活訓練と指導を通じて、社会の厳しさを自覚させ、規範意識と内省力を涵養し、堅実な生活態度を身につけさせることが必要であると思料されるものである。
よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条三項を適用して主文のとおり決定する。